画像タイトル:大築城鳥瞰図 -(86 KB)

大築城再訪(1)・9/12 名前: 管理人 [2009/09/22,20:00:21] No.245
このところ、日頃の不摂生がたたり何年ぶりかで風邪を惹いてしまった。世間様ではシルバーウィークとやらの連休だそうだが、こちらはお彼岸の親戚廻りもあるので、早目に散策しようと久し振りに城山に向う事に決めた。大築城は先年、県教委の調査が実施され、その際に石積み遺構が確認されて青山城跡、腰越城跡、小倉城跡との類似性が顕著になった。既に狼煙台といわれることも無くなってはいるが、未だ郭内の経路等が判然とせず、引き続き今後の調査に期待がもたれる。

今回もいつもと同様に麦原住吉神社に駐車させてもらい、夏内から旧道を辿って峰集落へと向かう。そして山道となるが、目に付くのは路面を抉るオートバイの轍。低山とはいえ近頃はこういった輩も徘徊している。やがてモロドノ郭に到着する頃、山腹からオートバイの排気音が迫ってくる。しかし、登山道の一部が藪っぽくなっていた為、途中で引き返したようだ。未舗装の林道ならまだいくらもあるはずだし、全くの非常識としかいいようがない。

モロドノ郭で一休みして目前の山並みに瞳を放つ。あじさい山、龍穏寺裏山、そして桂木峠…その先に映る山は午頭山?―いや、あの突起は龍ヶ谷山か…。今まで気付かなかったが、毛呂氏の龍ヶ谷山要害城とこのモロドノ郭は直線7qで、何の障害も無く龍ヶ谷山要害を望む事が出来たのだ。毛呂氏の梅園神社再建が河越夜戦(天文十四年・1545)よりも十年も前の話だとすると、やはり後北条氏が松山城を陥れる以前から、モロドノ郭は毛呂氏による境目の城として存在していたのだろう。

河越夜戦以降、武蔵中原の豪族達は管領上杉家につくべきか、或いは後北条家に帰参するかその去就に迫られた。そしてこの時、河越での公方・管領家の惨敗をみて、その重臣であった松山城城主上田朝直も主家を裏切り、松山城は後北条氏の最前線に位置する事となった。そしてこの松山城を小田原城の支城としてさらに枝城網を構築していった。大築城はその枝城の一つであって、けして慈光寺攻略の為だけの陣城ではない。むしろ城番を常駐させ、反抗勢力に目を光らせる番城とするべきだろう。

河越夜戦では後北条軍一万一千に対して、公方・管領軍は七万とも八万ともいわれる軍兵を擁して敗退している。上田朝直のように巧く後北条氏に帰参できれば良いが、一族郎党を率いて領地を追い遣られた豪族達もけして少なくなかったはずだ。そして、そうした者達が捲土重来を図って拠ったのが慈光寺ではなかったか。比企氏の影響を受けた源頼朝が祈願所としていた慈光寺は、それに倣って鎌倉武士達の多くが大檀那となっていたはずだし、山岳寺院はそのまま天然の要害となる。ある意味、治外法権的な位置にあった慈光寺には、こうした行き場を失った在家門徒武士団が武装拠点として結集し、反北条家勢力として反撃の機会を窺っていたものと思われる。(この状況は比企岩殿観音も同様だろう)

そして、この時点では慈光領との境目が泉川で、大築城のある尾根が後北条勢の防御ラインともなっていた。大築城が急造成の城といわれるのは、河越夜戦から少なくとも三年以内に慈光寺攻略が完遂されているからである。それは慈光寺観音堂本尊の千手観音像が、天文十八年(1549)に造立されている事からみても明らかだ。しかし、この三年間という時間は、強大化した後北条家の関東計略の侵攻スピードからしてみるとさほど早いともいい切れない。まして天然要害を巧みに利用した山城であれば、さしたる築城期間をも要さなかったものと思われる。いや、むしろ目前に山城を構築する様を見せ付けられる慈光寺方にとっては日々脅威の連続であったに違いない。

モロドノ郭からは一條の道が大築城の堀切部に向かっていて、現在これが正規の登城ルートだ。この道を行くと二つの竪堀を跨ぐことになってしまい、竪堀の、敵勢の横移動を阻止するという企図に反するのだが、これら竪掘は築城の際の材木などの資材搬入経路をも兼ねていたはずだ。竪堀がいずれも本郭虎口に向かっているのは、つまり本郭に矢倉など建造物があった可能性を示唆している。また、石積み遺構が確認されたのは本郭東塁の法面である。石積み遺構は防御の為でだけではなく、建造物の為の基礎地盤補強という意味もあったのではないだろうか。過去に行なわれたトレンチ調査では土師器、常滑焼き破片などが出土されている。

腰郭への経路は今一つ判然としないが、これに対して搦め手口ははっきりしている。椚平側の越セン岩と猿岩は搦め手の強力な防御ラインである。泉川を渡ってオシトドを登って来た道は、まず猿岩が谷になだれ込む箇所を穿って狭間を設け、越セン岩の頂きに武者溜りを設けている。この場所を迂回しようとしても、猿岩が行く手を阻む。今は樹木に覆われている猿岩だが、去る岩ともいわれる由縁よろしく大築城を目前として屹立しているのだ。攻城勢が本郭を背後から狙うには、唯一このルートしかない。

下段左:小築山平坦地 下段右:慈光寺観音堂下より大築城を望む


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