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あっそマンの 2000 末〜 2001 年 Mexico 日記

1行レスが書けるようになりました。何か書いてね (^^)。


[9] メヒコ交流5 12月23日
さて、出発直前の様子や、ホストの調査票が届いた話はすでにヒッポ日記に書いてあるので、いよいよ出発からの足取りを書いていくことにする。

出発は12月23日の朝早く、岐阜羽島駅発の新幹線にみんなで乗ることにした、同時に行くのはミューちゃん・あんなちゃん親子、ファナ・たっくん親子、高山のガラちゃんと私の4組だ。ガラちゃんは前夜に高山から走ってきて、一宮の実家に泊まっていた。同じ高山のミカサは、直接東京に出向くらしい。

見送りにはみかんちゃん、サーニン&そうま、ミューちゃんの旦那のトータス、ファナの旦那さん、へばちゃん、それと羽島のマーサが来てくれた。マーサが来るとは全然知らなかったので感激する。また、ヘバちゃんが「みんなが書いた激励の言葉よ。新幹線の中で読んでね」と、一宮メンバーが書いてくれた送り出しのメッセージと、サンタクロースの小さなマスコットをくれる。

私は、最後の交流の準備や、ウェブサイトの更新などをやっていて寝るのが遅くなり、新幹線では寝ようと思っていたが、やはり寝られるものではない。他のメンバーが話している中に入っていった。東京までの新幹線はあっと言う間だった。

東京駅から成田エクスプレスに乗り換えて成田空港に向かう。ミュウちゃん、ファナは子連れ(しかもオムツがまだとれていない)のため、荷物が人一倍多い。二人の荷物をガラちゃんと分担して持ったりしていたから、移動がまた大変だ。やっとついた乗り場で待っていると、傍らにいた外国人のカップルが目に留まった。ガラちゃんが声をかけると、成田発の航空チケットを持っているのだが、時間が迫っていて急いで成田に行きたいらしい。そこでガラちゃんが二人を連れて列車のチケットを特急用に変えに行った。さすがガラちゃんである。帰ってきてから聞くと、ドイツの人らしい。「グーテンモルゲン!」などと言って過ごす。

成田に到着したときは、集合時間にはまだずいぶん間があった。そこで食事に、とみんなでマクドナルドに入って話していたら、隣に座った人から「ヒッポの人ですか?。もしかしてメキシコ交流に出かける方ですか?」と声をかけられてしまう。驚いたことに(いや、成田集合だから驚くことでもないのか?)、同じ交流に出かけるインディだった。自己紹介して盛り上がる。

成田空港で、今回の交流メンバーが初めて顔をそろえた。まずラウンジに行って、交流をコーディネートしている旅行会社の人に注意を受けたり、自己紹介をする。普段のファミリーだといろいろな挨拶をする人がいるが、このときばかりはみんなスペイン語だからちょっと不思議だ。今回のメヒコ交流では、中部のコーディネータのくみちゃんも、プライベートで参加している。東京のコーディネータの人も参加していた(初見だが)。

朝早く一宮を出て、午後のユナイテッド航空にやっと乗りこむ。これからまずロスまで長時間乗るのだが、ついに日本を出発した、いよいよだ!、と他のメンバーたちを見回しながら思った。

飛行機の中では、メンバーは固まって乗っている。同じ列に座ったミカサ、モリモリ、インディと自己紹介しながら「なぜメヒコに行くことになったか?」の話をしていた。しかし、ロサンゼルスは遠い。ずっと話し続けているほど口も達者ではないので、寝たり本を見たりしている。ファナ、ミューちゃんは子供の世話で大変そうだ。特に、たっくんは飛行機が怖いのか、ほとんど泣いてばかりいるようなので、ファナは大変だったようだ。まあ、そんな事はあっても乗っていればロサンゼルスに着く。着いたのは23日の朝である。

エルモシージョへの飛行機は、夕方出ることになっている。それまでずっと空港内で過ごすのだ。ターミナルは国際線だけあって、いろいろな国の人がいる。多いのは中南米の人で、スペイン語が飛び交っている。韓国語、中国語、マレー語など、いろいろなことばが聞こえて、それを聞いているだけで面白い。昼食は空港内で取ったが、さっそくメキシコ料理屋に入ってみた。メニュー一覧を見ると「Machaca con huevos」 というのがあった。それを頼むつもりで「マカカ コン ウエボス」と言ったら、店員さんに「マチャカ!」と直されてしまったが、お目当ての料理はちゃんと貰えた。うーん、初めて食べるメキシコの味!、と言いたいところだが、疲れているのと、大してうまくもなかったので、味は忘れた。真っ赤なジュースも飲んだが、これも忘れた。後で覚えているのはホスト宅で食べた料理ばかりだ。

無料インターネットからローマ字で自分の掲示板に書き込んだりしていたが、そのうち待ちくたびれてきて、みんな待合いのソファに座って動かなくなる。ミューちゃんとあんなちゃんの家族の隣にいたのだが、いつの間にか向かいに座ったメキシコ人親子と話をしているようだ。むこうもよちよち歩きの子どもがいたので、子どもつながりで打ち解けたらしい。お目々のとても大きい坊や(あんなちゃんの3倍くらいはあった!)が、私が初めて言葉を交わしたメキシコの人となった (^^)。

午後出るはずの飛行機が、遅れによって夕方になった。さすがはメヒコである。ひたすら待つ。みんないい加減に疲れてきて、ソファで眠ったりしている。ターミナルの一番端のゲートから、その飛行機は出ることになった。そこまで歩くのは辛かったが、そこに行けばもうすぐメヒコだ。ゲート前でまたみんな元気を取り戻す。いよいよに乗り込む。ロサンゼルスまでの777に比べて、小さい飛行機だが、中で流れる機内放送は、紛れもないスペイン語だ。

私の隣に乗ったのはアメリカの女の子だったが、お父さんの仕事の都合でメヒコにすんでいるそうだ。久々のアメリカ里帰りからの戻りで、アメリカではスキーをして遊んだ、などとひとしきりはなしていた。気がつくと、近くに座ったミューちゃんも、ミカサも、ファナも、隣の人と話している。いや、なかなかみんな積極的だ。こちらの気も引き締まってくる。


あっそマン > マレーシアに向かう飛行機の中で続きを書いたりしていたのだが、移動中では、手元には資料を完全にそろえられないことや、写真を入れたくなってきたので、ちょっと掲載検討中です。ミヤネヨー。 (2003/03/18(Tue) 00:28:20)

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[8] メヒコ交流4
さて、肝心のメヒコ隊のメンバーを紹介するのを忘れていました。私を含めて同じ時期にメヒコに参加したのは、一宮近辺からは大人4名、子ども2名でした。

●ミューちゃん、あんなちゃん親子

私が「一緒に行きましょう!」と呼びかけた早い段階から、結構興味を持ってくれていました。最初は旦那さんのコージもメヒコ隊に名乗りを上げていてくれたのですが、最終的にはミューちゃんの方が参加してくれました。ミューちゃんが行くことになった経過はぜひ本人から聞いてね。あんなちゃんはまだ1歳前でしたが、お母さんに担がれて参加です。

●ファナ、たっくん親子

ファナは、交流に行く年の夏頃入会したばかりのフレッシュメンバーです。入会した頃に、夏のメヒコ準備会に参加してくれて、行ってみたいと思うようになってくれました。言語に関する感性はなかなか鋭いものがあります。FAX通信では大活躍してくれました。たっくんは人見知りが激しい子でしたが、メヒコ交流の最後には私になついてくれました。

●トータス

一宮の名物フェロウ・サーニンの旦那さんです。この年のメヒコ冬交流には、長い期間のAコースの他に、短いBコースというのがありました。冬交流の募集案内が出たときに、ふと 「Bコースなら俺参加できるな・・・」 と洩らしてしまったのが運の尽き。「ぜひ行って!」と押し出されてしまったのだとか。彼のメヒコ体験もなかなか面白いです。


そして、一宮つながりで、岐阜県高山市のメンバーが参加してくれました。

●ガラちゃん

元一宮メンバーで、仕事で高山に越していったメンバー。私がまだ本番のずっと前に 「一緒にメヒコに行こう!」と呼びかけていた頃には一宮メンバーでした。明るいキャラクターでボケも突っ込みも一人でやってしまう。もう一人の高山から参加のメンバー、ミカサを「一緒に行こうよ!」と一生懸命誘ったとか。「この冬は一宮から10人くらい申し込むだろうから、急いで申し込んで、いざふたを開けたら大人4人でしょう。あれ?、って思っちゃったよ!」とは彼の後からの弁でした。

●ミカサ

いつもニコニコ。とってもいいお父さん。ガラちゃんとは互いに 「相手が私を誘った」 とか言っているようですが、メヒコ交流申し込み順では堂々の2番目(ちなみに1番目は私 (^^) )ということは、ミカサが高山隊の張本人だったのかも。ガラちゃんの突っ込みにたいしていつも嬉しそうに笑っていました。


そして、もう一人のスペシャルメヒコ隊、急に決めたので(本人は以前から機会をうかがっていたのかもしれないが・・・)周りはみんなびっくりしたけれど断然応援されてすばらしいスティができたのは・・・

●あんみつ

じつは私はあまりあんみつをよく知らなかった。あまり行かない(一宮はファミリーが多いため)ビッケのファミリーのメンバーだそうだ(当時)。知ったのは2000年になってからだったと思うが、本人は親に連れられてヒッポに参加していたときもあるくらい、年数だけは長い。持ち前の明るさで何でも乗り越えてきた女の子。悩んだり真剣になったりすることもある、とは本人の弁だが、私が見てもそうは見えない (^^;。

さて、最初に「メヒコに行こう!」と一緒に気勢を上げたしんちゃんはどうなったのか?。実は彼は、それからどんどん忙しくなってしまいました。勤め先では実務の責任者的な立場(小企業なので何でも彼のところに来るらしい)のしんちゃんは、メヒコどころかファミリーにも出られないような状況になってきてしまったので、残念ながら交流はに参加できませんでした。私にとって、これが一番残念だったことです。


あっそマン > ここだけ「ですます調」に自然となってしまった (^^)。 (2003/02/14(Fri) 00:14:32)

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[6] メヒコ交流3
準備会やファミリーは順当に進んでいったが、それを細かく書くのは大変なので、例の「行こまい!MEXICO!のページを見てもらうとして、この頃に自分の中に大きな変化を引き起こすきっかけになったことを書いておく。

一つは、スペイン語のテープをいくら聴いていても疲れなくなったことだ。それまでは単言語を聞き続けると疲れてしまって、ヒッポのエディションテープのようないろいろな言語が入っているテープを聞くことがほとんどだった。初めて聞き続けて疲れない、と思った言語はマレーシア語なのだが、交流前の夏には、スペイン語をいくら聞いても疲れなくなっていた。

もっともこれが何を意味するかは今一つ自分でも分かっていないが・・・ (^^;。

そして、私たちがメヒコに行く少し前の2000年11月から、同じ一宮のあんみつがメヒコに3ヶ月出かけることになった。これは自分にとって、メヒコ交流を盛り上げる頼もしい応援団であったが、反面 「一緒に家族交流に参加してくれれば良いのに・・・」 と思ったのも事実であった。もっとも、3ヶ月メヒコに行けそうだ、となったら私だって家族交流よりはそっちを選ぶに決まっている (^^;。

このあんみつのメヒコ行きに併せて、一足早くメヒコ交流準備会が行われることになったのだが、これが一宮のヒッポとしては(おそらく)史上もっとも大きな準備会となった。
http://homepage3.nifty.com/assoman/asso/2000/asso0010.htm#20001021
市民会館で、100人以上は人がいたのではないかと思うが、一宮ばかりではなく他の地域からのメンバーもあわせての大規模なものだった。「スペイン語一本勝負」ということで各ファミリー別にメタカツするシーンを割り振って置いて、順にメタカツをしていった。

「大波あり、部分あり、小道具あり」ということで、超大波で歌うファミリーもあれば、小道具をいっぱい用意していたところもあった。「そんなのどこにあったの?」と驚くような、「おじいさんの話の大型紙芝居」が出てきたりした。そしてどこがもっとも楽しくメタカツしていたかを子どもたちが投票して、一番のところには景品が振る舞われた。

そして3つ目は、FAXスペイン語通信を始めたことだ。メヒコ交流前にFAX通信をする、と言えば、神奈川県秦野のオリーブが書いた物が有名だ。これはヒッポのFAXBOXの中に全部入っていたので、読ませてもらった。また、通信を始める直前、その秦野でSADA合宿があり、これに参加したときに、昔はメンバー間で頻繁にFAXをしていたいことを知った。

そんな話を聞いていれば、自分がやりたいと思うようになるのも、ごく自然なことだった。しばらく仕事が忙しくて、ファミリーに出られないことが続いたある日、仕事帰りにテープを聴きながら見つけたスペイン語について、どうしても話したくなった。でもすでに夜更けだ。そこで思いついたのが「この想いを書いてFAXで送る」ことだった。とにかくありったけ(大したことはなかったが)書いた。そして一緒にメヒコに行くメンバーにFAXした。FAXしたら実にすっきりし、もっとスペイン語を聞きたくなったのである。今から思うと、夜遅くに送ったのはFAXといえども迷惑には違いなかったかもしれない・・・ (^^;。
(FAXを最初に送ったのは10月11日らしい。10月12日のヒッポ日記を参照)http://homepage3.nifty.com/assoman/asso/2000/asso0010.htm#20001012
現物はこちら http://homepage3.nifty.com/assoman/event/2003/00mexico/fax.gif

それでも、送ってみたらすぐに反響があった。お返しに自分が見つけたスペイン語や空耳を書いてくれた人、「こんなことをやってみたかったんだー」と返してくれた人もいる。毎日だれかからお返しのFAXがある状態になった。それがすごい楽しくて、また自分の見つけたことを書いたり、相手の発見に対してコメントをしたりした。FAXの回覧がスムーズに行くように、メヒコ参加者で回覧網を作ったり、他のメンバーにも送ったり、求めに応じて東京や大阪の方まで大量のFAXを送ったりした。

あんみつが一足先にメヒコに行く頃がFAXのピークで、その後はちょっと沈静化してしまった(私はさらに忙しくなった (ii) )。しかし、このFAXでどんなに言葉が増えたか、メヒコ参加者の間でどれだけ絆が深まったかしれない。言葉に関する感性も人それぞれだというのもわかった。あちこちの人たちとのつながりもできたのが嬉しい。おそらく今ならメールを使うべきかもしれないが、「手書きだから取っつきやすい」と言う点でFAXも捨てがたいものだと思う。


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[5] メヒコ交流2
それからしばらくは、ことあるごとに「2000年末のメヒコ交流に行こうと思っています」と言っていたが、それほど熱心に「いくぞいくぞ」と言っていたわけではなかった。本格的に言い始めたのは、最初のメヒコニュースを出したときからである。
http://homepage3.nifty.com/assoman/event/2000/win_mx/news/news1.htm
まず大々的に「行きます!」宣言をして、ぜひ一宮から大勢でメヒコに行こう!、と呼びかけたわけである。

ニュースの第一号では、メヒコ隊に参加してください!、という呼びかけも行った。このころにはウェブサイトも立ち上げていたので、そこにもメヒコページを作って記事を掲載したり、
http://homepage3.nifty.com/assoman/event/2000/win_mx/win_mx2.htm
メヒコ隊を募集したりしていた。ウェブサイトはもう少し活用したかったが今一つ生かし切れなかったのが残念である。

メヒコ交流に申し込んだのは1999年10月26日である。
http://homepage3.nifty.com/assoman/asso/1999/asso9910.htm (この中の10月26日を参照)
ヒッポのホームスティは、何年先でも申し込むことができる。もっともその時期にその国にホームスティプログラムが組まれるかどうかは分からないので、まあ、宣言みたいな物だが、人数が多ければ本部もそれなりに動くだろう。もしホームスティがあるのなら、募集の一般公開前に「行くか行かないかの確認」が事前申込者には来る。別にそこでキャンセルしても何ら問題はない。

このあたりのことは、実は岐阜のハミくんに聞いたのだった。彼は私が行く2年ほど前に、岐阜から大勢でメヒコに行こう!ということで呼びかけて、複数でメヒコに出かけたのだった。実は私のはそのパクリでもあるのだ (^^;。

1年前から、当時のゲロゲロファミリーでも何回かメヒコ準備会が開かれた。フェロウのかちゃんもがんばってくれた。岐阜のハミ君が来てくれたり、ハッティに話してもらったりした。日常の積み重ねの中から、メヒコホームスティのイメージを積み重ねていっていた。


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[4] メヒコ交流1
私がメヒコのホームスティに出かけてみたいと思った直接のきっかけは、1999年始めの中部ヒッポ男会で、名古屋のグレちゃんの話を聞いてからだった。その時グレちゃんは、数年前に名古屋東部から大勢のお父さんがメヒコにスティに行ったときの話をしてくれた(ちなみにこのとき、熊本のしょうじさんが、戦前に満州で中国語に触れることになったいきさつを、壮大な自分史を振り返るように語ってくれたと思う)。

メヒコに行って本当に暖かい歓迎を受けたこと、メヒコのすばらしさの話も私に感銘を与えたが、それは以前にも他で聞いたことのある話だった。そんな中で私がもっとも感銘を受けた話は、帰ってきてからの話だった。

「地域から大勢で出かけたので、帰ってからファミリーに行くと、だれか必ず一緒にメヒコに行った人がいた。体験が似ているから、その人の話も実感できる。自分が見つけていないスペイン語をその人が話しても、すぐに自分の物にできる。またこちらの話すスペイン語もすぐに相手に伝わる。こうやって同じ体験をした仲間と楽しんでいるうちに、どんどんスペイン語が話せるようになっていった。こんなに楽に話せるようになるなんてすごいことだと思った。」

私は1998年春に韓国ホームスティに出かけている。ホームスティ自体は楽しかったが、その後は今一つホームスティの体験を生かし切れていなかったと思う。そんな中で当時のフェロウの旦那、しんちゃんが「ホームスティに行ってみたいなあ」という話を時々していた。もちろん私もそれに対して「一緒に行こか!」と返していた。しんちゃんは私にヒッポの楽しさを教えてくれた人である(本人自体はあまりファミリーには出てこなかったが・・・ (^^; )。そのしんちゃんがずっと「行くならメヒコに行ってみたい」と言ていたし、他にもメヒコに行った人の話を聞いたりして、メヒコに対するイメージは私の中で膨らんでいった。

そこにこのグレちゃんの話が重なった結果、私は次のホームスティはぜひメヒコにしたい、そしてできれば一宮地域のメンバーを誘って大勢で出かけたいと思うようになった。もう一つ、韓国には家族で出かけ、今一つ「父親」を捨てきれずにいたので、今度は一人で出かけたい、という思いもあった。メヒコに行ってみよう。周りを大いに誘って、準備段階から楽しもう。赤ちゃん体験をしてこよう。一宮から大勢で出かけるには、お父さんに限定していては無理かもしれない。お母さんや子どもたちにも呼びかけよう。そんなことを考えつつ、時期は2年先の2000年末交流がいいのじゃない?、としんちゃんと一緒に考えていた。


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[3] はじめに

2000年末のメキシコ交流については、このサイトでもかなり書いている。特に準備期間についてはこちらのページ→(http://homepage3.nifty.com/assoman/event/2000/win_mx/win_mx2.htm)にもあるように詳細な(読むのは大変だが)ものがある。だから、もし今、準備
段階から書くとしても、また同じような内容を書くことになってしまう。場合によっては記憶違いにより内容の齟齬も生じるかもしれない (^^;。

しかし、報告については、スティ中のメモ書きをタイピングしたものしか残っていない。今回、サイト管理を長らく開けてしまったこともあり、新しく始めるに当たって何か新しい物を用意したいと思った。そして思いついたのが「メヒコ日記を完結させる」ということである。

ただ、自分の中のメヒコは、そのスティの間だけではなく、スティ前の準備、本番、後の変化など、すべてが一体となっている物である。報告だけ書けばそれで完結、という物ではない。そういうこともあり、すでに読んだり聞いたりして知っている人も大勢いるとは思うが、改めて準備段階から書かせていただきたいと思う。このサイトに残っている資料へのリンクも張りながら(できれば写真も掲載して)、進めていこうと思います。

2年前のことを思い出しながら書くのでなかなか筆が(タイピングが)進まないかもしれませんが、よろしくお願いいたします。


あっそマン > 「ですます調」で書こうと思ったらなんか調子が出ないので「である・だ調」に変えました (^^;。 (2003/01/29(Wed) 01:29:07)

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